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イギリス旅行記−第2部−

経済学科217020055 太田 翔

 

 


 エジンバラ

 エジンバラに着くとまず、トラベルインフォメーションで今夜の宿を決めた。ここでも一番安い宿を紹介してもらい、約15ポンドのユースホステルに泊まることにした。ユースホステルに向かう途中、なんともいい香りのするタイ料理の店を見かけ、猛烈にタイ料理が食べたくなり、多少値は張るが晩飯はそこで食べることにした。久しぶりのごちそうである。イギリスは物価が高く、マクドナルドのバリューセットでさえ3.5ポンド(約700円)程するため、ろくに食事をとっていなかったのだ。ホテルで出る朝飯をどれだけ食べるかが勝負であり、昼・晩御飯はほとんど食べないというのが、イギリスでの食生活の基本であった。ちなみにイギリスの料理は油をふんだんに使っているものが多く、ここで本気を出して食いまくれば何人たりともまたたく間に太ってしまうだろうと思われた。しかし、男性に関していえば太っているというよりも、圧倒的にマッチョマンが多かった。日本人があの食事を続ければまず間違いなくただ太るだけだとおもうのだか、そこは消化器官の違いなのか。背も高くがっしりとしたイギリス人、やはりカッコエエなあと思わざるをえなかった。一方女性はというと、やはり男性より脂肪がつきやすいものなのか、食生活の結果がそのまま体型に表れたと思われる人が多く、別に、日本の女性に媚びを売るつもりは無いわけでは無いのだが、「日本の女の子の方がスタイルええやン。」と思うのは私だけだろうか?でもまあ、男も女もルックスはかなわないよねえ、やっぱり。

 タイ料理は7ポンド出しただけあってなかなかおいしかったのだが、特筆したいのは「ココナッツライス」である。ココナッツライスとは名前の通りココナッツの油分でライスを炒めたものである。このココナッツライス、味は全く普通の白米と一緒なのだがあのココナッツ独特の甘ったるい香りをプンプンだだよわせている。そしてごはんというものはたいてい辛いものと一緒に食べるものである。この日も肉をおかずにそのココナッツライスを食べると、世にも不思議な味になるのである。試しに鼻をつまんで食べてみるとなんてことはない、ただのおいしい御飯と肉なのだが、嗅覚が入ると世にも不思議な、まあ、ごまかさずに言うと、まずくなるのである。私は料理のおいしさを決めるのは味覚だけではないことを悟り、なんとなくまたひとつ年をとってしまった気がした。

 翌朝、外に出るとエジンバラの街並みの美しさに驚いた。きのうは到着した時間が遅かったため、暗くて街並みがよく見えなかったのだ。エジンバラの語源は「斜面に建つ城塞」であり、イングランド方面からの侵攻を食い止めるために、6世紀に現在のエジンバラ城の位置に砦が造られた。この街は、その強固な城を中心に城塞都市として発展した。エジンバラ城はその名の通り斜めに切り立った丘の上に建てられており、その城壁は断崖と同化しているように見える程不安定な場所にあるのだが、頑強そうな外観のせいなのか、その長い歴史のせいなのか、しっかりと根を張った大木のようなどっしりとした安定感が感じられた。しかし、当たり前の話なのだが中に入ってしまうとかなり観光地化されており、外から観るエジンバラ城の圧倒的な雰囲気は城内では感じられない。それでも、城壁の傍に並べられている、現在は礼砲のみの役割を担う大砲には歴史的な重みが感じられ、昔は敵を殺すために使われていたことを思うと、この地の歴史の事、ここで戦争が起きていた事を考えずにはいられなかった。このエジンバラでは今も毎日、一定の時刻になると(13時だったか?)城の大砲から空砲が撃たれる。これを見た時私はふと、終戦記念日の8月15日の正午に甲子園球場で行われる黙礼が頭に浮かんだ。私は毎年、あれを見る度「日本が戦争をしたことを忘れてはいけない。二度と戦争をしてはならない。」と思う。この空砲は13時(?)になったことを知らせるだけでなく、人々がここで戦争が起こったことを忘れないようにする役割もあるのかもしれないな、などとぼんやり考えた。

 とにかくエジンバラは見所満載であった。ガイドブックに載っていないところにも、行きたいと思えば行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

フォート・ウイリアム


 フォート・ウイリアムへの電車で、ペルーから来た陽気な家族に出会った。お父さん、お母さん、とその子ども達4人と友達一人。女の子3人と、男の子2人。これからフォート・ウイリアムに住むおじいちゃんの家に遊びに行くらしい。この子達が元気一杯であまりにもかわいいため、写真を撮らせてもらったのだが、そこから電車での3時間あまり私だけその家族とずっと一緒にいた。ペルーから来たので、母国語はスペイン語なのだが、子ども達は一番上の子でまだ小学校の低学年位の年齢だと思うが、どの子も英語ペラペラで私は自分が英語を話せないことを恥ずかしく思った。自分が思っていたよりはるかに英語を使えることは外国では当たり前のことなのだ。いままで会った外国人(イギリス人以外という意味)で、英語を話せない人はいない。その子達は歌が好きだというので、ペルーの歌を歌って、と頼むと童謡らしきものを元気一杯に歌ってくれた。予想以上に大きな声で歌うので、自分が歌わせた手前、周りの迷惑になりはしないかと少し気になったが、幸い電車の中はすいていたし、まばらにいる乗客もその子たちのかわいさに目を細めている様子だったので、気にしないことにした。そこまではよかったのだが、今度は日本の歌を教えてと言われていささか困ってしまった。複数で歌うのと一人で歌うのは、恥ずかしさが違うし何よりこっちはおっさんである。乗客も可愛い子供達の歌声は聞いてもおっさんの歌声を聞きたくはなかろう。よって電車の中でオッサンの歌声を響かせる訳にはいくまい。(のちに電車の中でギターを弾き語り、金をもらってまわっているおじさんがいた。さすが、ビートルズを生んだイギリスである。まあ、そのおじさんはある意味プロなのでただ単に歌うはめになった私とは違うのだが。)しかし子供達にそのことを説明する術を持たず、少年・少女だけが持つ期待に満ちた瞳の輝きがこの時ばかりはプレッシャーとなって私を押し潰そうとしていた。やむをえず、電車に乗っているので、ブルーハーツのトレイン・トレインのサビの部分を歌ったのだが、外国にいるというだけで日本では恥ずかしくて到底できないことも、この場合仕方なくではあるものの、できてしまうから不思議なものである。このようにして電車がフォート・ウイリアムに着くまでずっと子供達と遊んでいたわけである。ところで他の3人は、私があまりに子供たちをかわいがるので、私がロリコンではないかと疑い始めていたが私はただの子供好きである。

 フォート・ウイリアムはあまり有名ではない、知る人ぞ知る町であるが、素敵な町だった。湖と山に面していて、町の人々は旅行者である私達に気軽に挨拶してくれた。ほとんどの家についている煙突を見ると何故か落ち着いた気分になった。またこの日泊まったB&Bはイギリスで泊まった宿の中で最高だった。このB&Bの主人の飼い犬コリーと、同じ日に泊まっていたフランスの一家の赤ちゃんのツーショットは、イギリスでのセンスの感じられない私の写真の中では一番微笑ましい写真であるかもしれない。

 

 

 ロンドン

 ロンドンはやはり大都会である。人で溢れている。大ちゃんにロンドンの街を色々案内してもらったが、私にはロンドンはどこを見てもあまり変わりがないように思われ、明日にでもロンドンを出ようと思った。みんなはもう少しロンドンを観光したいようなので、別行動を取ることにした。その夜は、思いがけずごちそうにありつけた。というのは、沖縄バイトの先輩である秋山さんが、なんと日本から私達のために2万円もの大金を振り込んでくれたのだ。秋山さんとは、その風貌と人柄のため、渡嘉敷島の住民(約500人)なら全員知っている名物男である。サラブレッドのようにしなやかな筋肉を持ち、沖縄出身でもないくせに、沖縄人並に濃い顔、そして何よりその黒さたるや日本人の限界をとうの昔に超越し、まさに海んちゅと呼ぶにふさわしい。その外見から察するにどれほど恐い男かと思いきや、なんともお茶目で優しい34歳である(しかし怒ると恐い)。{秋山さんの逸話をあげれば切りがないのだが、ひとつ印象的な話をあげると、「アッキーのスコール越え」という伝説がある。アッキーとは秋山さんのあだ名である。沖縄の雨というのは、猛烈なにわか雨であり急に降って急にやむ、いわゆるスコールなのだが、晴天の日などは、雨が降っている箇所と晴れの箇所の境目がはっきり分かる日があり、積乱雲の動きに連れてスコールの開拓前線も移動するのだ。ある日港からの買い物帰りの秋山さんの背後からスコールの前線が迫ってきたが、ぬれるのが嫌だった秋山さんは、ダッシュでスコールから逃げまくり、ついにスコールにぬれることなく、私達の暮らす寮にたどりついたのであった。しかし雨にこそぬれていなかったが、汗でぼとぼとであった。}そんな秋山さんから頂いたお金で久しぶりの日本料理を食べながら、秋山さんに会いたいなあと思った。

  カンタベリー

 翌朝、電車のパス券の期限はもう切れているため、長距離バスでロンドンを出ようと思い行き先は特に決めずに長距離バスステーションのある、ヴィクトリア駅に向かった。初日の爆弾騒ぎの街である。ヴィクトリア駅からバスステーション行く途中、旅行者風の男性に声をかけられた。

Excuse me. Please tell me the way to the coach station?」実はこんなにはっきり聞き取れた訳ではないのだが、どうもバスステーションへ行きたいようだということは分かった。Coachというのはイギリスの長距離バスのことである。何故、俺みたいな明らかに土地の人間でないもんに聞くのか?と思いながら、自分もそこに向かっているので一緒にいきましょうか?というと、急いでいるので、走っていきたいのだそうだ。私も詳しい行き方等分かるはずないので、だいたいの方向を指差し、「There.」というと、彼は「Thanks.」と短く言って風のように走っていった。が、指差した方向も合っているかどうかはかなり怪しい。私は道を聞く時は人を選ぼう、と心に決めた。しかし、バスステーションは少し進むとすぐに見つかったので、先ほどの男性もこれならすぐ見つけられただろう、と思っているとその彼がバスに乗り込んでいるのが見え、一安心した。やはり私のせいでバスに乗り遅れたなんてことになっては申し訳ない。

バスステーションの電光掲示板には、有名な観光地の名がずらっと並んでいた。ピーターラビットで有名な湖水地方に行くか、イギリス南部のブライトン、ドーヴァー、カンタベリーに行くか迷ったが、なんとなく名前の響きが気に入り、カンタベリーに行くことにした。

カンタベリーは何故かウンコのニオイがする街だった。私はそのニオイにいささか閉口してしまったのだが、道行く人は穏やかに談笑しながら、ニオイ等まるで気にならないといった様子で通り過ぎてゆくところを見ると、これがこの街の常臭なのだろうか。私の脳はこの街のウンコのニオイのことで占拠され、世界遺産にも指定されている、かの有名なカンタベリー大聖堂を見ている間もウンコのニオイが気になって集中して見れなかった。こうなると暴走族と一緒で気になり始めたら負けである。しかしこの勝負、負けはあっても勝ちはないので理不尽だと思えるが、そんなことを気にしていては世の中渡っていけないのだろう。私は今日はこの調子ではどこを見ても大した感動は得られまい、と思い、敗北感を胸に街で一番安いと思われるユースホステル(13.5ポンド)へと向かった。その扉を開けた瞬間、脳を占拠していたあのニオイも敗北感もどこかへ吹っ飛んでしまった。受付嬢がかわいいのである。イギリスのきれいな人はまさにbeautifulという感じでなんとなく近寄りがたい薔薇、という印象なのだが、その娘はcuteという感じでおまけに陽気でなんとなく江戸っ子という感じがした。私は男女を問わず江戸っ子気質の人が好きなのだ。明日にでもここを出てドーヴァーへ行こうと思っていたのだが、もう一泊することにしよう。このように旅程が自分の気分次第で変えられるというのは一人旅の大きな魅力の一つであろう。こうしてかわいい受付嬢の出現により、このカンタベリーに二泊することにしたのだが、最初はただただくさいだけだったこのニオイがそのうちに愛しくなり、街をでる時には名残惜しさまで感じてしまうのだから恐ろしいものである。できない奴ほどかわいいもんだ、という心境に似ているものがあろうか。こうして振り返ると思い出されるのはニオイと受付嬢のことばかりであるが、カンタベリーはいくつもの世界遺産を持つ非常に見応えのある町だったことをつけくわえておく。

 

カンタベリーを発った後、ドーヴァー、ブライトンを回りロンドンで一泊してから、帰国の途に着いた。ちなみに帰りは一人だった。私が南部を回っている間、他の3人は暇を持て余して日本に帰ってしまったらしく、そのことを語る大ちゃんの目は少し笑っていた。彼は私が置いてきぼりにされたことが嬉しいのだ。

 

 

 帰国の途に着く

こうして私の2週間半の小旅行は終わった。私にとって初めての海外だったので、何もかもが新鮮で、二週間半という期間はあっという間に過ぎてしまった。初めて英語で道を尋ねた時、初めてチップを払った時、靴のまま家に入った時、日本では見られないような雄大な自然を目にした時など、それらは日本では経験できないことであり、今私はイギリスにいる、という実感を強く持つことができた。また、日本でも見られる当たり前の光景さえも、むしょうにまぶしく感じられた。それは家路を急ぐ子供達であったり、買い物をしているお母さんであったり、仲良く公園を散歩している老夫婦であったり、日本でも当たり前に見られる光景であるはずなのに、それらがとても素敵なことのように感じられた。それは日常生活を非日常からの視点で見た時に初めて感じることのできる温かさで、私達が普段の生活では感じられないものであると思う。この旅行で私にいろんな事を感じることができた。また、それはそのまま私の中の変化に繋がっている。

世界にはどれだけの街があるのだろう?全く私達と文化も風俗も違う街も、私達の生活に近い街もあるだろう。そこに行ったら私は何を感じるだろうか。このような好奇心、また行ってみたいという欲求、これがこの旅行が私に与えた一番大きな変化かもしれない、そんな気がしはじめている。

 

 

日程

2004221日成田発 アエロフロート 同日モスクワ経由ロンドン着

222日 オックスフォード チェルトナム泊

223日 カッスルクーム バース泊

224日 ソールズベリー ロンドン泊

225日 エジンバラ 泊

226日 エジンバラ 泊

227日 グラスゴー フォートウィリアム泊

228日 ロックオー グラスゴー泊

229日 グレンコー ロンドン泊

3月 1日 ロンドン泊

3月 2日 カンタベリー泊

3月 3日 カンタベリー泊

3月 4日 ドーバー泊

3月 5日 ブライトン泊

3月 6日 ロンドン泊

3月 7日 機中泊

3月 8日 成田着 大阪着

 

費用合計 約17万円